苦しいほど愛おしい、この土地とともにあるヒトや思い出


それら全てが私を作ってる

しがらみも醜い感情も何も湧いてこないことが、こんなに幸せだったかと胸に突き刺さる

私の人生には、彼らが必要だ


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かまってくれなかったからなんて、そんな言い訳しか思いつかないよ。
何回同じことを繰り返したことだろう
わたるは顔も覚えてないっていってんだろただただいい身体だったってだけ
そんなんでもよかったんだよわたしはさみしかっただけ。そうだよねつまんないよね何回も会って話したい女じゃないよねわかってるよそんなこと
いっつもそこでおわり。さみしいとか、かまってくれないことに一人不満募らせて言えなくてどんどん孤独になって。気づいたら、かまってくれる人探しててそしたら大体近くでちらほら見つかって、そん時だけ満たしてくれる
でもそれからは何も生まれなくて、次の日の朝、昨日知り合った人の家で目を覚ます
その時の目覚めは正直にいうといつもより清々しくて。罪悪感とかそんなもの、微塵もなくて。これが人間の本能かと考えると何にも抗えなくて。
家に帰ると昨日まで私に孤独しか与えてこない負の存在であったはずの彼が、異様なくらい眩しくて。やっぱりこの人だって再確認なんかしちゃって。彼のお弁当にトマト一つ多くいれてみたり。デザートつけようかな、なんて考えたり。
自分を正当化するわけじゃないけど、もう直そうともおもってないよ
ほどよく諦めがついた、詰められた時逃げるつもりなんてさらさらないし
その場しのぎの充実でいいや
こういう自分を受け入れてくれる人だってこの世にはいるはず


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この世の果てかと思うくらい、トイレで1人思い出し笑いしてしまうくらい、人を見知りますよはい、

たぶんあの人たちにとってもこんな見知ってる人と出会えたことは人生の一つの経験になるはずだね、ぷぷ、

こんちきしょう。


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常識がなんだ
定義がなんだ
そうゆう形式にとらわれないからこそ、想像を超えた成果が手に入るんじゃないか

普通を求めるくらいなら、こんなに努力してないよ
人の上に立ちたいから、将来人よりいい暮らしがしたいから、がんばるんじゃないか
人格的にも金銭的にも貪欲な、いやらしくて醜い感情こそが、いかにも生きている証であって。
でもどんなに醜くても、先にあるそうゆう美しい世界こそが、人間の原動力になると思うんだよね
ま、あくまでもなにを美しいとするかは、人間個人によって様々だけどね
常識と共に生きる普通の日常が美しいと思うのならば、それはそれでいいよ
ただ、普通を手に入れるために努力するってのは、あまりにも自分の可能性を潰していませんか?って私は思うわけ。




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笑顔が信じられないんですよ

人のはもちろん、自分のも。
不信を超えて、恐怖さえも感じますね

この中に本物の笑顔が確実にあるのに、それに気づけないんです

全部、怖いんです


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別れに次ぐ別れ
人がいずれ言葉を発さなくなることを私達はいつからか、常識として捉える
動くものはいずれ動かなくなるのが世の常だけれど、人間はいつも、それに伴う喪失感からは目を背けようとする
長い間お疲れ様、今までありがとうなどと、中身のない屍に声をかけては、見たくない現実と向き合ったことにするのである
私はいつも思うのだ、一方通行だと。一連の儀式は、残された者の自己満足だと。
真に向き合うとは、身体が感情という中身をもつ内に、別れを伝えることではなかろうか
人間同士の永遠の別れは、残される者、そして屍となりゆく者の双方が認識して始めて、「別れ」なのだとおもう
田舎に老いた両親を置き、子は都会で働くことがもはや必然となりゆくこの世界で、そのような真にあるべき「別れ」ができるのは、おそらくほんのひと握りであろう



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 犬一匹がいないだけでこんなにもさみしいものか
 ベッドに一匹分のスペースがないだけで、こんなにもさみしいものか
 心のからっぽ感が、すごい
 さみしいな


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続き...